気遣いっていうものは

自発的にする(あるいは、してあげる)ものだと思っていたけれど、どうやら最近は違うらしい。要するに、お前気遣いしてないだろ、気遣いするのが当然だろって言うひとたちがいるってことだ。そういう人たちはその気遣いを社会的なルールにしたがっているわけで、それが破壊するものに自覚的であるべきじゃあないかと思う。破壊するものっていうのは彼らがその口で言ってた美しい、自発的に人を気遣うような精神のことなんだけど。ルールにしてしまえばもう外面的なものしかなくなってしまうんでないかなあ?自覚的に言っているのなら、なんだかわけのわからない精神論を言う人よりはまともだと思うけど。

僕から見ると、気遣いしないのはゼロで、気遣いするのはプラス。
けれど誰かから見ると、気遣いするのがゼロで、気遣いしないのはマイナスなのだ。
そんなよのなか。

とりあえず30日ぶん日記をつけることを目標にするので、チラシの裏ってカテゴリーを作ることにします。